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2006.05.31

つんどくめも

゜読もうと思って買ってみたはいいが読むことができずに放置されている書籍”
のことを一般的に(と言うほどには市民権を獲得していないだろうが)

『積ん読(つんどく)』

と言うらしい。なかなか粋で巧みな日本語遣いだと思う。
この「積ん読」を常備しておかないと落ち着かない…、という人間はいわゆる活字中毒者ってことになるのだろうが…。
さて、某電子情報網上の熱帯雨林株式会社のせいで、僕も積読は常時完備なわけで。
先週末の僕を思い起こせば…、

 読みかけの2冊をスッキリ読破(-2冊)
  ⇒あ、この本おもろそう(+2冊)
  ⇒あ、これ続刊出てたんだぁ…(+2冊)
結果、+2冊。
今目の前にドスッとデスクに積んでみたら、全部合わせて全長20cm超の柱になりました…。
うん、もうディスプレイ見えないから。

明日から6月。1ヶ月の間に一体このうち何冊読めるのか…。
いや、果たして、積ん読は減るのか(オッズは13倍)、それとも増えるのか…(1.3倍)。

1.白夜行(集英社文庫・東野圭吾)
ドラマでやってた分は中途半端にしか視聴できず、レンタル待ち。
これ、文庫の分厚さじゃありません…。(850ページ、1,000円て…)

2.涼宮ハルヒの消失~陰謀【計4冊】(スニーカー文庫・谷川流)
もう半年間くらい積みっぱなし寝かせっぱなしで、蔵ん中で梅酒作ってるんです的な積ん読。
巷では最近アニメ化された影響なのかとってもブームらしい。

3.消閑の挑戦者3(同・岩井恭平)
某学園小説大賞の入賞作の続編第3弾。1巻はナゾナゾバトルが新鮮だった。

4.憐 Ren 3巻と4巻(同・水口敬文)
これも学園小説大賞の入賞作続編。

5.半分の月がのぼる空 1巻と2巻(電撃文庫・橋本紡)
どこかの書評で、「かなりいい話だ」と聞きつけ、試しに手を出してみたもの。病院の中のEZ DO DANCE らしい。
(違います、ボーイ・ミーツ・ガールです)

6.「ニート」って言うな!(光文社新書・本田由紀他)
ニートなんて言葉がよく取沙汰されてるけど、ちゃんと分析したらそんな大した問題ではないのだ、といった趣旨。らしい。
この際、読んだら負けだと思っている。

7.日本システムの神話(角川oneテーマ・猪瀬直樹)
道路公団民営化な人の本。申し訳ないが、なぜ自分がこの本を買ったか理由を思い出せない。そんな優先度最底辺な一冊。

8.若者殺しの時代(講談社現代新書・堀井憲一郎)
「現代の若者は、その上の世代が作った収奪構造に取り込まれてしまっていて、一種の閉塞状態にある」ということを述べた一冊。まだ読んでないからなんとも言えんが、タイトルに惹かれて買った一冊。


なんだトータル13冊って…。

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2006.05.17

忘れえぬひと

何ヶ月も積んでいた「ナラタージュ」を、なんだか現実逃避気味に読了。
Naratage


本文とは関係ないが、この本の装丁が秀逸。
上の画像では帯がヤボで分かりづらいが、「あの薄暗かった雨の廊下」というシーンの成分を黄金比でデザイン化したみたいな出来だと思う。
ハードカバーの書籍は値が張るのだけれど、装丁で楽しめる(こともある)のがいい。
この先、電子書籍が発達しても、そういう理由で紙メディアはなんとか生きながらえて欲しいなあと思うところだ。

さて、読んですぐ感想を残しておこうと思うほどに、「ナラタージュ」は読みごたえのある一冊だった。
(最近東野ハルヒの読後レビューをこつこつ書きためていらっしゃる誰かの影響でもある(?))

読後、ひりひりとした浅い感傷にひとしきり浸った後、我に返るように思ったのは、
 「ただのフタマタも美しく書けばそれはアリなんですかねぇ…」
誉め言葉です。

厳密には、作中でできあがる三角関係が、それぞれ「自分の好きな人には他の忘れえぬ人がいると知っている」という状況だから、いわゆるフタマタとは言わないのかもしれないが。

とにかく、このお話の主題を、最初のページを開いてすぐに出てくるセリフが、何気なく集約しているように思える。
「きっと君は、この先誰と一緒にいてもその人のことを思い出すだろう。だったら、君といるのが自分でもいいと思ったんだ」
だから、導入部の旨さにとても感心した。(と書評ぶってみる)

回想の部分を「過去」として一旦遠くに追いやってから、エピローグの一節で、その過去を奔流に乗せて引き戻したときは、「やられた」と思った。

回想のフィナーレ部分の丁寧な描写は、胸にぐっとこみあげるものがあったけども、えーっと、
『あなたのことが好きだけどもうお別しますから、最後にわたしを抱いて』
てな展開(意訳です)、現実にありえるんですか…?
お子様な僕には乙女の恋心とかよく分かりません…。(脳年齢は20歳キープしてます)


最後に、ナラタージュってのは、
『ナレーションとモンタージュを合成した造語で、キャラクターが自分の過去を回想する際に、キャラクターは現在の立場から話し始め、場面が過去に遡っても、そのキャラクターには引き続き現在の立場から話しを続けさせる手法』
だそうで。クラシック映画の世界でつかう言葉だそうで。
他にも作中には、オシャレさんがみるような洋画についてちょくちょく描かれていて、洋画(しかもクラシック?)なんてタイムマシンなデロリアンくらいしかみない僕は、その映画が出てくるシーンのニュアンスがイマイチ分からなかったのであった。

村山由佳の小説と比べると、「教訓」とか「人の成長」とかいう説教臭さがなくて、一つのエピソードとしてよく出来たお話だったというかんじ。またそのうち読み返そうかな、と思った。

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2006.05.06

忘れそうだった ~その3 WtoW~

さて、高校生になっても「創作」は継続していて、最初の完結したオリジナル作品となったのが、
 「 W to W 」
である。あ、これ顔文字とかじゃないから、そこ誤解のないようにっ。

そういえば、高校時代といえば、自分で言うのもなんだが、生涯で一番勉強した時期だ。毎日学校行って授業受けて部活して帰ってから予習復習してという生活。そんなときにいつ小説なんか書いてたんだろう…。

以下、テンプレ化して振り返ってみる。

************************************
●作品解説Ⅰ
タイトル:
 W to W ダブル・トラブル

タイトル由来:
 Double Troubleという言葉が語呂がよくて気に入ってしまったから。
 後付けで、登場人物の名前のイニシャルを取ったものにしてある。

執筆時期:
 97年頃(高校2年)

メインキャラクター:
 若山透(主人公) 中学3年生。性格等、モロに自分を投射してた。「透」は「かまいたちの夜」から拝借。
 上原香織 透の幼馴染。 「香織」は、当時のクラスメイトに由来する。別に好きだったとかそういうワケではない。

ジャンル:
 学園サスペンス(?)

あらすじ:
 下駄箱に入っていたラブレター風の手紙に従い、放課後の公園に赴くと、待ち受けていたのはチンピラの団体さんだった。それをやり過ごしてからも、避難訓練で誰かに突き飛ばされるわ、植木鉢は降ってくるわで、学校の中で何度も死にそうになる透。遂には、帰り道に車がブレーキなしで突っ込んできて…。
 香織と力を合わせて犯人をとっ捕まえてみれば、その背景には、あるクラスメイトの悲しい因果が巻きついていたのだった…。
 
コンセプト:
 生意気な幼馴染とのやりとり
 「理不尽な物事」への否定

影響を受けたモノ:
 「タイム・リープ」高畑京一郎
 「三毛猫ホームズシリーズ」赤川次郎
 「杉原莢香シリーズ」赤川次郎

読んでくれた人:
 F君 ひとり。
**************************************

えーっと、こんなん今更人には見せられないので、速攻ネタバレかましとく。
犯人は変人数学教師。動機は、透を亡き者にして、透の志望校の高校受験枠をあけ、あいたところにある女生徒を受験させようとしたから。じゃあ、この女生徒を受験させようとした理由は? となると、グロいので省略。最終的に、数学教師は逮捕、黒幕たる「女生徒」はクライマックスで校舎から飛び降り自殺する。この飛び降りるシーンは、後の「イゴンのすすめ」のラストシーンのイメージソースになっていたりする。


日常を幼馴染とゆるゆると過ごしつつ、ピンチを一緒に乗り越えるという典型的な少年漫画的カタルシスを描いているよなぁ、と今更ながらに分析。
透の最後の心のボヤキは、
『香織(おまえ)なんかに「好きだ」なんて、絶対言ってやるもんか』
あかん、泣けてきた…。
ただ、物語をどういう風に思いついて、どう作っていったかはあまり覚えていないというのが正直なところ。
ちなみに、この頃から、決まって主人公の一番の男友達というポジションで、タケシとかサトシとかいう名前のキャラが登場する。モチーフは、中学高校で僕の「笑い」の師かもしれないS君。今頃なにしてますかねぇ…。

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2006.05.05

忘れそうだった ~その2 物書き初めしはじめなり~

僕がいつ最初の「創作」をやったかというと、おそらく中学2年生、まだガクランを着ていた時のことだ。

その頃、僕が読んでいた本といえば、ガンダムシリーズのノベライズと宗田理の「ぼくらシリーズ」くらいではなかったかと思う。周りの友達とかに比べても、「少し多いかも」とかそういうレベルである。

当時、仲良くなった友達にF君というのがいて、彼が先に「小説」を書いていた。それは、感熱式のB5の用紙数枚をホッチキスでとめたもの、といった形をしていた。休憩時間に初めて読ませてもらって、ドキドキしたのを覚えている。
内容は、今思えばありきたりな(ベタな)ファンタジーもので、要はテレビゲームでやったロープレ(プライマリはDQ、セカンダリにFF)の世界を、小説として自分好みに再構築したものだった。

そこで、僕も自分でもやってみようと思い立ったのである。
ではどうしてやってみようと思ったのか…。
楽しそうだった? おもしろそうだった? ヒマだった? 
このときの自分の感情はよく覚えている。上のどれも当てはまるが、それより、何の根拠もなく、
「僕のほうがうまく書けるんじゃないか」
と思ったのである。

そして、家にあったワープロ(OASYS)でカタカタと文字を打ち込み、出来上がったのが、僕の記念すべき処女作(?)であった。
何を書いたかというと、F君の小説の二次創作。読ませてもらった小説の設定とキャラクターだけを取り出して、自分好みに会話させてみた、というシロモノであった。うわ、はずかしっ…。
けど、なんでも入口って誰だってそんなものじゃないかと思う。
だけど、本当に自分の書いたものの方がうまかったかどうかについては、なんとも言えないところだ。


この時、「創作」の魅力に感じたのはこういう部分だった。

①命名権の行使
これより以前に、FF6でカイエンの「必殺剣」に好きな名前が付けられたのだが、その命名にとてつもなく燃えた。それと同じで、タイトルとサブタイトル、キャラクターの名前やそのキャラクターの持つ武器や扱う必殺技名前などなど、全てが自分の裁量にあるという世界がとてもまぶしかった。自分で名前を付けてそれを自分の世界で動かす、本当に甘美な醍醐味だ。


②シチュエーションの創造
幼くても幼いなりに、「このキャラとこのキャラにこういうシーンでこういうセリフを言わせたい」というのがあった。無論、その「シーン」にしても「セリフ」にしても、どこか(テレビかゲームがマンガか)で拾ってきたものの模倣でしかなくて、つまるところ、愛の告白とか、愛の告白の受諾とか、愛の告白の受諾の後に交わされる美しい行為とか、まあそういう類のものである。こんなこと何マジメに語ってんだ、俺。
そしてこれが今の僕の第一の目的のような気がする。

で、これを発展させると、究極の妄想が可能になる。主人公に自分を投影し、対するヒロインに自分の好きなコを投影した上でくっつけてしまうなんてことができるのである!
当時の僕はさすがにこれは「イタイ」と思ってできなかったわけだが。(コレ読んでたら、すまんF君)
勿論、やったツワモノもいた。(キャラの名前まで似せるというから徹底していたよなぁ…)


③ギャグ?
自分なりにボケて、自分なりにツッコミを入れてたように思う。ただ、こればかりは、当時の自分のセンスを今の自分が共有できそうにないが。


読者はF君の他計3~4名。
ちなみに、中学生当時の原稿は、もう今は手元に残っていない。OASYSももうない。辛うじて、中学卒業の春休みに書いた漫談の脚本風のモノが一編探せば出てくるかなぁという程度だ。
どっちも今読んだら絶対頭抱えながらシュレッダーにかけて篠山川に放流してしまうと思う。

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2006.05.04

忘れそうだった ~その1~

「立木さんの書くオチは、落語的だね』
と、文芸研の先輩に言われたことがある。

自分でもそう思う。
読み手としての僕は、オチがハッキリしない物語は苦手だ。お話が進んでいって、そして完結するまでに、「衝撃の事実」とか「どんでんがえし」とか「なるほどー」といった要素のピースがないと、結局この話は何が言いたかってん!と思ってしまう。
そして、ついでに言えば、モウシワケナイことに、僕はその先輩の書く「詩」がどーしてもよくわからなかった。
(嫌いじゃないのだ。うまいとも思うのだ。でも感想を求められたら「…雰囲気が、せつなくていいですよね」が精一杯)

当然、書き手としての僕も同じことが言える。
たいていの場合、ストーリーのどこかで、「オチ」または「決め台詞」なるものが単純に見え隠れする。
ソコが構想の出発点になっているわけである。
今は、そのうまい「オチ」がどーにも見つからなくて、それで長い長い筆休め期間になってしまっている。
スランプ、というのもちょっと違う。

…だから。
「27」以来、ご無沙汰な立木影二の筆がちょっとでも活性化できればいいかなと思って、僕の「小説とか書いてる」っていう趣味について、日記か回顧録か備忘録がてら書いてみようかなと思い立ったのだ。
どうせ僕の知らない読者なんていないDAなんだし、気楽に、でも見苦しくはならないように。
アタタカイツッコミとかハゲマシのオタヨリとか歓迎。
初公開(?) 立木さんの(黒)歴史。

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2006.05.03

螺旋考 ~あるいは、その名を借りたジャンプ批判~

パピヨン様大乱れ暴れの「武装錬金」はいずれ総括するとして、今日のお題は、ガンガン連載の「スパイラル ~推理の絆~」。

Spiral


この度、1月に発売された第15巻をもって無事完結した。以前も少しネタにしたと思うけれど、この漫画、ガンガンだからこそ(月刊誌だからというわけでもなく)連載を続けられたと言っても過言ではない。
「推理」を謳う都合上、関係者一同が一室で、30ページにわたりひたすら『検討会』してるなんてザラなのだ。
登場人物が動きもせず、ひたすら吹き出しのセリフだけ追いかける漫画なんて読んでて面白いはずがない。
(ジャンプの『DEATH NOTE』とかも同じジャンルと言えるけど、あちらは、両サイドの思惑がある程度オープンになっているので、キャラクターが動いていないとしても、Aの話、Bの話、というように「動き」は作り出せるという相違もある。)

さて、そんなスパイラルなワケだが、原作担当+作画担当 という作業分担がなされていて、その原作担当がもともと小説畑出身というプロフィールのせいか、この漫画の演出(見せ方)は、良くも悪くも多分に小説くさい。そしてその小説くささを最後まで感じさせてくれる物語なのだった。

①「ひよの」の扱いを、当初の予定通り初志貫徹、硬派な役で通した点が小説臭い
(おそらく)一番人気のヒロインキャラなのに、それに迎合せず、アマアマな展開を排除しちゃったのが、なんとも潔いというかなんというか。散々ラブコメ的伏線を張っておいて、ラストにキッチリスッパリ切捨御免どんでん返し。
実は刺客でしたなんてオチ、一体いつの時点で考えていた設定なのかが気になるところ。

②「握手」が小説臭い
第10巻に張った伏線回収として交わされた「握手」。
正直、これ見よがしにぶち上げた「伏線(なんでも願いをかなえてやる)」だったのに、結局ただの「握手」かよ…、と思わないでもなかった。その意味を深く考察するまでは。
これは、あるバランスの上に成り立った散文的な「握手」だと思う。
行間の読ませ方が多分小説的。いやまあ、マンガが行間を読ませないって言いたいわけじゃないんだけど、マンガの方が絵でセリフでモノローグで、多くを語らせる手法じゃないかな、と。

その他に、最後のどんでん返しのための土台となるテーマ「主人公の心の支え」がどうにもこじつけ臭い。つまり、『そもそも、確固とした「心の支え」なんて、必ずしも必要ではないのではないか』という反証がなされていないところが、語り手の手落ちのように感じる。

なんて、大して知名度もない「スパイラル」を語ってしまったけど、結局僕は何が言いたかったんだろう…。
ああそうだった。悲痛な心の叫びがあったんだった。
書きかけのまま3ヶ月も記事を放置してたから忘れるところだった…。


(いわゆる)「大人の事情」に振り回されないで、作者の意図どおりにちゃんと物語を完結させられるって、とってもいいことだよね…。うらやましい。
あぁいや、もうちょっと直接的に言おっか…。


ボーボボより先に武装錬金打ち切るジャンプの編集判断が理解できんわ!

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